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    80年代日本の“エンターテイメント”映像文化と同時代ソ連の映画文化

     1980年代前半の、ソ連と日本の映画文化を自分の体験から比較すると、映像作品における“作家性”の現れ方が映画文化によってここまで違うものかと驚かざるを得ない。だが、現れ方がどれほど違っていても、そこに真の創造性がみられた点、また、同時代の観客に与えた影響力の大きさという点では、非常に似ていると言える。

     1980年代前半の日本における映画文化は、“サブカルチャー”に牽引されていた。少なくとも、全国公開されるような映画作品や、予算がそれなりにありかつ創作上の自由がかなり許容されたテレビアニメのシリーズ(及びその劇場公開版)に関しては、そうだった。森田芳光や冨野由悠季がこの時代を象徴する映像作家だった。

     一方、ソ連ロシアにおける映画文化は、作家主義的な作品及び作家の支持者(創作家と映画ファン)によって維持されていた。60年代に全盛を誇ったソ連の映画産業には低迷の傾向が見え始め、大ヒットする娯楽作品の水準は、映画大国というには恥ずべきものになりつつあったが、芸術性を重視する作家映画のレベルは非常に高かった。とはいえ、そのほとんどは当局の検閲その他により、ごく限られたサークルや熱心な作家映画ファンにしか鑑賞されていなかった。その少数派が、後にロシア映画を復活に導いたのだ。

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     アンドレイ・タルコフスキーの場合、83年の『ノスタルジア』完成後に彼が亡命したことにより、過去の作品が上映禁止となった。だが、秘かに秘密上映されていたり、映画教育機関の習作や卒業制作として作られたりした諸作品には、今観直すと驚くべき水準のものが少なくない。ソクーロフの『孤独な声』は日本でも知られているが、俳優から転身して高等監督コースに学んだ故アレクサンドル・カイダノフスキーのボルヘス原作による短編『庭』(83)、同じく高等監督コースに学んだコンスタンチン・ロシャンスキーの短編『ソロ』(80)、全く違法に制作されて87年にようやく陽の目を見たセルゲイ・セリヤノフの『名の日』等である。そして、ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(建て直し)政策の開始とともに、上記の彼らに加え、イワン・ディホヴィチヌィ(この人も既に故人)、アレクサンドル・ロゴシキン、ヴァレーリー・オゴロドニコフらが加わり、ベテランのワジーム・アブドラシートフやセルゲイ・ソロヴィヨフも規範を外れた不条理な物語映画を作り始めた。
     それが全て国家予算の枠内で制作されていた。1986年~89年頃までこの驚くべき状況が続いたが、その後の経済状況の悪化と共に、当然ながら、映画産業は破綻した。

     経済的側面だけを見れば、80年代の日本における冨野アニメや森田映画の突き抜けぶりも、ソ連におけるペレストロイカ時代の作家映画の突出と同様、“あだ花”的なものであったと言われるだけだろう。だが、どちらの場合も、同時代の観客に生涯消えることのない優れた作品の記憶を残したという意味では、非常に大きな“芸術的高揚”だった。実は、このような高揚こそが、将来の創り手の意識を形成し、その水準を決定するのだ。

     『父、帰る』のアンドレイ・ズヴャギンツェフが俳優から監督に転身したのは、彼がペレストロイカ時代のソ連の映画文化を体験したことと無関係ではない。ほとんど一作だけで散ったオレーグ・テプツォフ(『ミスター・デザイナー』、88年)のような若手映画作家もいたあの時代が、ある意味で2000年代前半のロシア映画の復活を準備したと言えるのである。

     日本の映画・映像文化の将来に少しでも関心を持つものは、この80年代の経験を忘れてはいけないだろう。同時に、世界映画史を振り返って見ても、芸術文化の歴史は、経済学的に見て全く無駄な、創作者達の理念への“献身”によってしか継続も発展もしないのだということを、肝に銘ずるべきである。実際、今世界のどこに『伝説巨神イデオン』や『聖戦士ダンバイン』のような映像作品に出資するスポンサーがいるだろうか? 冨野由悠季にそれを許容した状況があったからこそ、“サブカルチャー”の枠内であそこまでやれたのである。
     映画やそれに準ずる動く映像の芸術文化は、経済至上主義では絶対に存続しない。そのような経済全体主義的な国では、映画文化は確実に衰退せざるを得ないのである。どこかで必ず金銭を忘れた“献身”が必要であり、だからこそ経済学は映画・映像文化の理解においては全く無力なのだ。 
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    バブル、表層批評、小津とキューブリックの神格化

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    映画芸術古典時代の終わり

     遠いバブル時代の1980年代日本で、1930年代から50年代にかけてのハリウッド映画や同時代の日本映画を、あたかも映画の教科書のごとく崇める風潮があった。その最も馬鹿げたクライマックスは、土地バブル絶頂期の小津安二郎崇拝である。

     私はその頃まだ大学生だったが、同時代の素晴らしい映画芸術の精華を無視したシネフィル的な言説には、正直言って嫌悪感を通り越して吐き気がしていた。なぜなら、当時の若者がもし正常な感覚をもっていたならば、小津よりももっと注目すべき、そして映画産業が斜陽であるがゆえに積極的に擁護すべき、高貴な現代映画の潮流が確実にあったからである。

     そのような潮流(複数)に属する映画作品の一部を、以下に挙げよう。今思い出しても、喪失の大きさに唖然とするほど高貴な映画たちである。ちなみに、どれがどれより優れているということはない。それぞれが高貴であり、順位をつけたりするのは全く不当である。
     

     黒澤明『影武者』、『乱』、『夢』、
     ウェルナー・ヘルツォーク『緑のアリが夢見るところ』、
     アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』
     陳凱歌『子供たちの王様』、
     コンスタンチン・ロプシャンスキー『死者からの手紙』、
     アレクサンドル・ソクーロフ『孤独な声』、『蝕の日々(日陽はしづかに発酵し・・・)』
     今村昌平『黒い雨』
     森田芳光『それから』

     俗物だけが、芸術の本来の理念を忘れ、嬉々として、「誰それは二流だ。誰それは誰それより劣る」などと、したり顔で断言する。そういう人間に限って、自分では短編の1本も作れはしないし、2流どころのヨーロッパの映画祭にさえ、出品できないのだ。

     日本がそのような俗物をあがめるような俗物大国であったからこそ、福島第一原発事故に至るような無責任体質の社会を営々と作り上げてきたのである。

     日本には、1980年代半ばに、現在よりもはるかに高貴な映画文化の潮流が存在した。そして、この国はそれを根絶やしにした。私は当時から、そのような文化的衰退の原因となる【空気を読む】風見鶏的な若者たち(今はほとんどが貧乏暮らしの中年)に嫌悪感を感じていた。

     それは今でも変わらない。自分より若かろうが少し年上だろうが同じである。私は彼らを心底、軽蔑している。映画芸術の古典時代は1980年代に終わった。その原因の一つが、日本に最も多く、他の国にも少なくなかった、こうした風見鶏的な俗物だったのである。
      
    プロフィール

    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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