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    映画関連専門書オンデマンド購入のすすめ

     映画に関する本は、独習書や専門書に限って言えば、もともと需要が少ないが、日本における少子化や過去四半世紀に及ぶ不況によって、もはや一般書店に流通させても元が取れない状況になっている(私の著書の中で、もっともな理由から一番売れている『タルコフスキーとその時代』でさえそうである)。

     職業上、あるいは「夢の実現」のために下記の著書が必要な方は、偏見にとらわれずにオンデマンド印刷を積極的に利用して頂きたい。そもそも、これらの本は最初から一般書店での流通を目指しておらず、大手ショッピングモールではアマゾンでしか販売されていない(そちらでも今は需要が十分でないので販売は事実上停止している、アマゾンの意志によるのではなく、出版元アルトアーツ代表つまり私の意志によってである。利益が少なく面倒な手続が増えるだけだから、会社として当然の判断である)。

     プロというものは、昔から希少かつ必要な専門書を漁ることで初めてプロとして一人前になってきたのである。その出費を惜しんだり、自分の所属する機関に払わせたりするような人間は、最初から専門家を目指すべきではない。そのような根性しかなければ、どうせ一生、二流以下にしかなれないのだから。

    現代映画カバー




    映画文化と現代ロシア映画[改訂版]表紙


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    所謂「映画的」表現と先行諸芸術の逆説的関係―革命前ロシア映画を例に

    ★この記事は(実は当ブログの大半の記事もそうですが)、研究者としての筆者の見識や調査に基づいており、啓蒙的な意図をもつ、著作権に関する日本の法律や国際法で保護されたコンテンツです。引用には必ずURLその他の情報を明記下さい。
     
     アカデミックな文献を全く読んだことがないか、斜め読みしかしたことのない映画ファンの「通説」となっている、ある誤解がある。
     それは、映画が、「演劇」や「文学」の影響から脱することで初めて一人前の芸術(芸術という言葉が気に入らないなら単に“映画”でもいいのだが)、になった、という見解である。 この見解は、次のような間違った結論に導く。

     “映画を作るには映画だけ浴びるほど観ていればよい”。

     このような認識は、歴史的に見て間違っているだけでなく、あれこれの映画監督を「作家」として評価するためにも、また自らが創作者となるためにも、百害あって一利なし、である。映画を批評したり作ったりするには、映画だけ見ていてはいけないし、映画鑑賞にプラスして“人生経験”を積めばいいという単純な話でもない。
     
     若いうちにすべきことは一にも二にも、古典を中心とした読書や諸芸術のなるべく偏りのない鑑賞である。

     以下、実例として革命前ロシア映画の急激な発展を後づけながら、簡単に(ブログなので簡単でないと“斜め読み”で終わるので)説明したい。

     1911年、世界映画史で最初の長編映画の一つがロシアで制作された。この映画『セバストーポリ防衛(Оборона Севастополя)』の制作・監督は、後にロシア映画史上最初の真のプロデューサーになるアレクサンドル・ハンジョンコフ(1877―1945)と、ロシア映画史上最初の監督ワシーリー・ゴンチャーロフ(1961―1915)だった。同年に作られたサラ・ベルナール主演のもう一つの長編劇映画『エリザベス女王』と比べると、『セヴァストーポリ防衛』のスタイルは自然主義的なほどにリアリスティックで、映像的には『エリザベス女王』よりも遥かに「映画的」である。

     ここで疑問が生じる。『エリザベス女王』が今日では見るに堪えない演劇性と冗長なスタイルを持っているとしても、より「映画的」な(リュミエール的な、つまり動く写真的映像という意味で)『セヴァストーポリ防衛』が、やはり堪え難いほど退屈なのは、なぜなのか?

     上映時間の問題もある。現代の普通の観客は、或いは熱心な映画ファンでさえも、サイレントの淡々とした変化に乏しい描写を1時間も見るほどの忍耐は、持ち合わせていない。

      では、このリュミエール的な動く写真映像が、長編(当時は2000メートル以上、現在の上映時間に直すと50分以上)でも、1時間やそれ以上に伸びても退屈でないためには、映画はどう発展しなければならなかったのか? 

     答えは、「演劇的な」ドラマツルギ―の採用である。

     決して「長編小説」的な構成ではない。なぜなら、長編小説を「映画化」しようとした初期の試みは、ことごとく「挿絵」的なものに終わり、今ではやはり「見るに堪えない」ものになっているからである。

     長編小説は確かに、映画の話法に多くのヒントを与え、それを発展させる契機となった。例えば「回想シーン」や登場人物の「想像」や「連想」、「夢」を表現するために、劇映画はディゾルヴ、アイリス、二重焼付、オーバーラップを使用した。これらは劇映画の「約束事」と見なされるようになり、それらが組み合わされて1920年代後半以降は「モンタージュ・シークエンス」という、非常に「映画的」な「規範(約束事)」的表現を流通させるに至った。

     だが、こうした「映画的」表現だけから成る劇映画は、事実上、存在しない。また、それは商業的な理由からも「劇映画」の歴史的なあり方からしても、存在できないのである。

     観客が劇映画(物語映画)を受け入れるためには、たとえ長編小説が原作であっても、「演劇的」に圧縮された構成、すなわち古典的なドラマツルギ―を踏まえた構成が不可欠だった。
     1910年代半ばまでに、このことは映画制作者にも、監督たちにも理解されていた。1910年代初めの、より原始的と言える劇映画でさえ、国際的に売れたものは古典的なドラマツルギ―を無視していなかった(アスタ・ニールセン主演の『深淵』等)
     

     では、当時の映画先進国(ヨーロッパの主要映画制作国(フランス、スウェーデン、デンマーク、そして1910年代半ばにロシアが加わる)において、「古典的ドラマツルギ―」とは何だったのか? 演劇史を一度でも学んだ者であれば、誰でも答えられる。アリストテレスの『詩学』、及びそれに影響された西欧近代の演劇論である。
     
     斜め読みされると嫌なので、『詩学』という、世阿弥の『能作書』と並ぶ天才的な書物の詳細には触れないが、要点だけを述べる。アリストテレスが書いているのは、決して“5幕構成”などではない。①“初め”と“中間”と“終わり”がはっきりしており、②プロットが「ありそうな」やり方で展開し、③“認知”(登場人物にとって未知だった事実が判明する)が出来事そのものから流れ出るように起き、④一度に把握できる限られた長さ(ギリシャ悲劇の場合は一昼夜)に収まっていることである。
     
     このうち最後の点(限られた長さ)に関しては、後にエドムンド・バークが『崇高について』の中で、美しいものと崇高なるものとの違いについて述べた際に、“美”の条件として挙げてもいる。

     以上のような古典的ドラマツルギ―の理解や、美の条件に関する理解は、19世紀ヨーロッパの主要国で芸術を志した人々にとっては、初歩的な常識だった。彼らの中の何人かは、映画史における最初の“作家”であり、巨匠である。
     彼らは決して「純粋に映画的」な表現を目指したわけではなかった。

     各芸術の“純粋さ”への志向が生じたのは、イタリア未来派に端を発すると言っていい「アヴァンギャルド」の発生以降である。彼らはその自己宣伝の欲望や(率直に言うが)芸術家としてあるまじき怠惰かつ無責任な性向によって、過去の“芸術的伝統”を廃棄して良いと考えたのだ。勿論、彼らの“創作”は、今ではもの好きな好事家以外には無視されている。

     アヴァンギャルドの発生以前、芸術はごく自然に、先行する諸芸術の構成原理を応用していた。そのような“鷹揚な”諸芸術の相互作用の最も豊穣な成果は、19世紀後半最大の芸術潮流である象徴主義に見られる。

     革命前ロシア映画の急速な発展は、他でもない、アリストテレスに始まる“古典的ドラマツルギ―”と象徴主義に非常に多くのものを負っている。ヤーコフ・プロタザ―ノフ(1881~1945)の『スペードの女王(Пиковая Дама)』は、やや過剰な“映画的”表現への依存にもかかわらず、古典的ドラマツルギ―を無視してはいない。また、エフゲニー・バウエル(1865~1917)の『命には命を(Жизнь за жизнь)』(1916)やその他の最良の中編に至っては、古典的ドラマツルギ―と象徴主義的伝統、更には19世紀後半のロシア絵画(フランス外光派と印象派の影響を受けている)が、驚くべき自然さで融合している。

     逆説的であるが、現在映画ファンが評価する大部分の“映画的”表現は、先行する諸芸術―演劇、小説、美術、そして(残念なことに)より少ない程度は音楽―にその起源をもつのである。
     

    バウエル『女心の黄昏』(1913)より
    バウエル『女心の黄昏』(1913)より
    コンスタンチン・コロヴィン(1861~1939)作『スペイン女たち』(1889)
    コンスタンチン・コロヴィン『スペイン女たち』

    テーマ : 映画
    ジャンル : 映画

    tag : ロシア 映画文化

    “手段の節約”と劇映画構成の意外な関係

     最近、フリッツ・ラングの『月世界の女』を観る機会があった。勿論、ネットで観たのである(私には、自分がそれほど好きでもない映画作家の未見の映画を、高額ソフトを購入して見るような趣味はない)。

     私はラングの『メトロポリス』を「SF映画の元祖」の一つだと思ったことは一度もない。あれは、何か中途半端なジャンルの混合物である。そのことはジョルジオ・モロダー版を劇場で観た時から、薄々感じていたことではあった。失われたと思われていた断片を16mmフィルムから復元して挿入した最新版も、全く事態を改善しないどころか、益々悪くなっている。

     『メトロポリス』で顕著なのは、ジャンル的な特徴の混在が、孤立した視覚的イメージに起因していることである。それらのイメージは、ドラマツルギーの効果を無視して、ただ何らかの(多分、視覚的に面白いからという)理由で導入されている。例えば、なぜ、未来都市の地下に古代ローマの“カタコンベ”のような洞窟があったり、登場人物の幻覚に大鎌を持った骸骨という中世的な死神が登場したり、発電設備らしい機械が「モレク神」(歴史映画『カビリア』から『イントレランス』を経て混入したと思われる)に見えたりしなければならないのか? 
     これらの紋切り型のイメージは、ラングが現実のニューヨークを見て受けた近代都市のイメージとは、全く相いれないものである。つまるところ、この映画の未来都市は合理化されたハイテク世界なのか、それと民衆が中世的な迷信に惑わされているような管理社会なのか?では、思想の管理は何によって実現されているのか?これらの問いに、映画は答えられない。群衆は群衆で、マルクス主義的な階級闘争史観の影響からか、いかにも“工場労働者”然としているし、19世紀的な超長時間単純労働を強要されている。つまり、『メトロポリス』は、一貫性ある(説得力のある)世界を提示することに失敗している。

     同じことは、『月世界の女』にも言える。ドイツ側のコンサルタントが、ソ連のツィオルコフスキーから間接的にロケット工学の知識を仕入れて作り上げたという、衒学的なほどに詳細な軌道や脱出速度に関する描写、ロケットとその発射の過程の描写は、登場人物達が生活している社会や彼らの世界観と矛盾している。
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    プロフィール

    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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