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    ミニマル・ミュージックと宗教―マルティノフの場合

    ウラディーミル・マルティノフ(1946~)の名前を、私はごく最近まで知らなかった。
    以前にアントン・バタゴフのCDを仕入れたレーベルのサイトで偶然知ったのである。そのバタゴフのことは随分以前に知人の作曲家アントン・ブレジェストフスキーから知ったのだから、あまり偉そうなことは言えない。

    ただ、音楽作品自体とそれに関連づけられた思想、及び言語的或いは非言語的なテクストとの関係という観点から私なりの批評を書くことはできるだろう。

    “ミニマル・ミュージック”という言葉は、マイケル・ナイマンによって1968年に初めて用いられ、更に74年に彼自身の著書「実験音楽:ジョン・ケージとその後」の中で定義されたという(http://en.wikipedia.org/wiki/Minimal_music#cite_note-8)。

    もう20年以上前になるが、私は、ナイマンがピーター・グリーナウェイの映画作品のために書いた様々な曲、或いはフィリップ・グラスの音楽を聴いて、漠然とミニマル・ミュージックというものをイメージした。後になって、よく考えればエリック・サティの作品や中世の教会音楽にも似たような雰囲気があることに気付いた。
    更には、アルヴォ・ぺルトやモートン・フェルドマン、スティーヴ・ライヒの音楽をぽつぽつ聴くに至って、この種の音楽が、知的な装いをしつつも超人間的・超自然的な世界への強い郷愁を表明したものであると感じた。つまりこれは、18世紀以降世俗化し続けた西洋近代音楽の、いかにもヨーロッパ文明的に屈折した(理論と観念を通じての)宗教への回帰を示すものなのだ(ナイマンやグラスの場合は少し違うかもしれないが)。

    ウラディーミル・マルティノフの音楽は、ミニマル・ミュージックに見られる音楽の宗教性への回帰を、他の現代作曲家よりも比較的ストレートに表している。
    1990年代(つまりソ連解体以降)、アントン・バタゴフがナイマンと同様に商業的な映像メディア(テレビ番組、劇映画作品)のために多くの仕事をする傍らで錬金術的テクストに影響された“Passionate Desire to be an Angel”や仏教的思想に影響された作品を書いてきたのとは対照的に、マルティノフは世俗的な作曲はせず、正典化されたキリスト教的テクストに基づく比較的長い作品(演奏時間30分程度)を発表し続けてきた。そのような忍耐強さや信念がなければ、おそらく彼は自分でCDレーベル(LongArmsRecords)まで立ち上げることはしなかっただろう。

    こう書くと、アルヴォ・ぺルトのような厳格な宗教音楽を想像される方もいるだろう。だが、マルティノフの音楽はそれよりも甘美である。Come In!などは“癒し”の音楽としてニコニコ動画でも評判になったくらいだ(これも最近調べて分かったことだが)。この曲は確かに、“癒し”の音楽として聴くこともできる。曲の構想は、天国への門が開かれる予感とその喜びを表したものであろう。実際、曲の最後にロシア語で“入りなさい”という囁き声が入るのである。1988年という、ペレストロイカの政治的混乱の渦中でこのように穏やかな音楽が創造されたことは不思議だ。
    Come inCome in
    (2001/07/24)
    Martynov、Grindenko 他

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    2001年に出たこのアルバムには、1988年に作曲された表題曲の他に、94年の“妖精たちの秋の舞踏会”(18分32秒)と2000年の“バッハの午睡”(12分26秒)が収められている。宗教性はそれほど強く感じられないが、ミニマル・ミュージックの執拗な反復と微妙な差異化に基づく手法が、興味深いやり方でそれぞれの作品のコンセプトを具現化している。
    “妖精たちの~”では、チャイコフスキーの“悲愴”やヴィヴァルディの“四季”といった有名な曲の想起させるフレーズを反復しながら、次第に物淋しい“冬”のイメージに向かってゆく。“バッハの午睡”の方は、この楽聖が午睡の間も時々息子達が部屋に入ってきて自分の楽譜を弾くたびに目を覚まし、その曲の続きを書こうとしたという、おそらく真偽の定かでないエピソードに基づいている。だが、マルティノフはその情景を音楽で描写するのではなく、バッハが睡眠状態から霊感に打たれて目覚めることを繰り返す、その神秘的状態を音楽化しているようだ。
    全くバッハ的ではない(しかし不快ではない)ミニマリズム的音空間から、どうやら“ブランデンブルグ協奏曲”の(輝かしい第3番でも5番でもなく)6番の第一楽章を連想させる“渋い”フレーズが次第に形成されていく後半は、ある意味で感動的だ。個人的にはこの曲に一番、“ドラマ”を感じた。勿論、創造的精神のドラマという意味である。

    Hymni.jpg

    "Come In!"は、ヴァイオリンを中心とする、やや世俗的な雰囲気を残した室内楽曲集だったが、こちらのアルバムに収められている2つの曲は完全な宗教音楽である。
    "CANTICUM FRATRIS SOLIS"(The Canticle Of Brother Sun)は33分57秒、 "MAGNIFICAT QUINTI TONI"29分3秒であり、前者はアッシジの聖フランシスコによる頌歌のテクストに基づいている。このテクストは最古のイタリア文学の一つであるとも言われている。後者は、「ルカによる福音書」の中の挿話に基づく、キリスト教会最古の頌歌の一つに基づく。勿論、マルティノフ以前にもおそらく大勢の作曲家達がこれらのテクストに曲をつけてきたはずである。元の(イタリア方言とラテン語の)テクストを少し調べてみたが、ブックレットに載っているものと同一であって、マルティノフがあくまでこれらを「正典」として手を触れなかったことが分かる。

    この2つの曲の形式は、男声歌手(それぞれテノール、及びカウンターテノール)とヴァイオリンを中心とする弦楽器群との、極めて穏やかな対話という性格を持っている。18世紀や19世紀の、次第に肥大化していった「宗教曲」と比べて何と慎ましく、貧しいと同時に甘美な世界であろうか。ここでは神も人間も世俗化されていない。ミニマル・ミュージックは、ここでアルヴォ・ぺルトよりも優しい信仰の世界を見出している。
    このアルバムを聴いた後では、ハイドンやヴェルディの「宗教音楽」が単なるオペラやメロドラマにしか聞こえなくなってしまう。だが、正直に告白するが、その境地に達するために私はこのアルバムを二回聴かねばならなかった。宗教的芸術を、たとえ美的な面からでも理解するためには、通常よりも忍耐が必要なのである。

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    テーマ : クラシック
    ジャンル : 音楽

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    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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