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    なぜその映画は“退屈”なのか―ドラマ構成についての覚書

     10年も20年も前に観た映画をDVDやブルーレイで観直して、前よりも好きになれる映画もあれば、自分の中で評価が下がってしまう作品もある。そのような評価の変化は、俳優の演技や物語内容や撮影技術よりも、むしろ脚本段階でどうにでもなったはずの構成の問題に関わることの方が多い。
     私は10代の頃から(80年代前半から)映画を一つの芸術として鑑賞し、個々の映像の評価に関しては自信があった。また、俳優の演技に対しては、年齢を重ねることで豊かになる人生経験というかなり正確な判断基準を持っている。それらは才能や感性や経験によるものであり、その意味では専門家でなくとも判断できる要素である。
     
     だが、ドラマとしての構成に関しては、意識的に分析力を高める必要があり、その分析力はある程度時間をかけて“訓練”されねばならない。
     
     劇映画に限って言えば、退屈な作品には、まず何よりもドラマ的な構成に不備がある。撮影技術や俳優の演技に関しては、それぞれの国や地域で伝統も違うだろうし、個々のスタッフや役者の実力にも左右されるため、脚本家や映画作家は全ての責任を負いきれるものではない。だが、完成度の低い脚本をそのまま映画にしてしまえば、彼らはその責任を免れることはできない。

     この点で、観客や批評家達によって最も過大評価されている劇映画の一つが、セルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』であろう。アメリカ公開時には2時間半程度に短縮されたようだが、日本公開当時も現在DVDやブルーレイで観ることのできるヴァージョンも、3時間を軽く超えている。しかし、その長大さに見合うだけのドラマが、そこにはない。個々の映像は完成度が高いが、上映時間に比してドラマ的な空白が大きすぎるため、それを補うために絶えずモリコーネの抒情的な音楽が流れている。私にはそれが、素人臭い誤魔化しのようにしか見えない。しかも驚くべきことに、レオーネと複数の脚本家達は、この映画の欠陥だらけの脚本作りに12年も費やしたというのだ。
     
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     この映画を一つのドラマとして見た場合、非常に退屈であることは間違いない。物語内容は主に、40年以上に渡るヌードルスとマックスとの友情と裏切り、その悲劇的結末から成っている。それをスクリーン上で4時間近くかけて見せるためには、彼ら自身の性格(生い立ちも含む)だけでなく、副次的登場人物達の思惑や行動、更にはそれぞれの登場人物が抱いている人生観(と言っても殆どはギャングなので大差はないだろうが)をきちんと描き分け、それらを織り合わせるようにして人間関係の変化を創っていかねばならない。
     さもないと、豪華なセットや優れた撮影技法や俳優の表情や凝った小道具ばかりが目につき、そもそも何のためにそれらが必要だったのかが分からなくなるからだ。そして『ワンス・アポン・ア・タイム~』は、まさにそのようにして失敗しているのだ。例えば、ヌードルス少年の憧れであり後に女優になるデボラの性格が、どこかで鮮明になるシーンがあるだろうか? 或いは、マフィア的な組織を作った4人の仲間達の性格が、描き分けられていただろうか? 一般的には少し説明が足りないくらいが余韻はあるものだが、この作品の場合には、最初から作者達に彼らの人物像を描き分ける気がなかったことが分かってしまうのだ(サイレント時代の“ティパージュ”つまりアマチュア俳優達のように、視覚的に区別できるだけである)。

     比較のためには、黒澤明の『影武者』や『乱』、或いは80年代初頭から半ばにかけての富野由悠季のアニメ作品を観直してみればよい(おそらく後者は前者の影響を少なからず受けている)。長回しが多いために退屈さを感じる人もいるタルコフスキーの映画でさえ、『ワンス・アポン・ア・タイム~』ほどドラマ的に希薄ではない。『ストーカー』等はむしろ、ドラマ的な緊張が長回しの手法で更に強調されているくらいだ。

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     更に付言すれば、日本では観ることができないが、レオーネの映画とコッポラの『ゴッドファーザー』シリーズに影響されたロシア製の1クールものテレビドラマ『ブリガーダ』の方が、お手本の一つにされた筈のレオーネの映画よりも遥かに引き締まったよい構成を持っている。そして、友情とその喪失というテーマも『ブリガーダ』の方が遥かに効果的に提示している。

     

      
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    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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