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    『映画文化と現代ロシア映画』(日本語版)英米欧同時発売

     前回は小説のペーパーバック版についてお知らせしたが、今回は“学術書”ないし“専門書”と呼ばれる分野の新刊をご紹介したい。一つは先日刊行済みの『映画文化と現代ロシア映画』であり、もう一つは近々刊行予定の『物語映画におけるポリフォニー』(仮題)である。後者は、「映画の詩学としての理論」という、現代ロシア映画と並んで20年来私が研究・考察を重ねてきた分野についてのものであるが、日本語で出すか英語で出すかによって読者層も構成も変わるので、まだ詳しく語ることはできない。

     『映画文化と現代ロシア映画』は、以前に紹介した2つの小説と同様、米アマゾンの子会社CreateSpace Independent Publishing Platform から出版した。このシステムは私にとっては実に使いやすいが、それは私が自分の会社から3冊の自著を出版してきた経験がそのまま生かせるからだ。しかもISBNが無料で取得できて、裏カバーにバーコードが自動的につくので、日本で本を発行する際よりも簡単だ。ここから出した本は全て米国から出版されたことになる。今は研究者もアマゾンやそれに類する各国のショッピングモール(ロシアの場合はオゾン)で書籍を購入することが当たり前になっているため、いやしくも研究者と名乗る人間が、“書店で扱っていないから購入も参照もできなかった”と言い訳することはできないだろう。この分野を専門とする方にとっては必読書である。そして実際に、ツイッターで刊行を発表した直後に購入した人がいる。
    映画文化と現代ロシア映画
    米アマゾン商品ページ:http://amzn.com/1481842323
    英アマゾン商品ページ:http://www.amazon.co.uk/dp/1481842323

     本書の第一章は、2010年初めに東京外国語大学で開催された国際ワークショップ「ポスト・スターリン時代の文化的想像力」において発表した内容に基づいている(論文集「スラヴ文化研究」に掲載)。第二章と第三章は日本学術振興会科学研究補助金による個人研究(研究課題番号19510261「ペレストロイカ以降の現代ロシア文化研究」)の成果であり、2008~09年にかけて執筆した。第四章は同補助金による共同研究(研究課題番号19320100「オーラルヒストリーによる現代映画製作の研究」)の筆者担当部分の成果を利用している(未発表)。
    序論は全て、新たに書き下ろした。(キンドル版の商品説明より)

    映画文化と現代ロシア映画映画文化と現代ロシア映画
    (2012/11/03)
    西 周成

    商品詳細を見る

     私は日本における現代ロシア映画研究では第一人者をもって自認しているし、実際にそれだけの仕事はしてきた。だからこそ、北大や東京外国語大学で開催された国際シンポジウムやワークショップに招かれたりもしてきたのだが、『映画文化と現代ロシア映画』の内容は、過去20年以上に及ぶ私の現代ロシア映画研究に一つの区切りをつけるものであり、シンポジウムやワークショップでの口頭発表以外に、科研費による個人研究や共同研究の成果も利用している(これらの研究の過程で生まれた“映画文化”の概念モデルは、昨年秋に刊行した『映画 崩壊か再生か』の基礎にもなっている)。

    映画 崩壊か再生か映画 崩壊か再生か
    (2011/09/20)
    西 周成

    商品詳細を見る


     実はこの本の原稿は、東日本大震災の直前に完成していた。学術出版では有名な某出版社に原稿を送り、出版の可能性がないか聞いてみたところ、編集者から原稿と一緒に丁重な断りの返事が届いた。正確な言葉は引用できないが、「よく検討してみたが、どうしても採算が取れそうにないので残念ながら弊社では出版できないと判断しました」「この原稿が何とか出版されることを願っています」という内容で、その後に打診した幾つかの出版社のおざなりな対応と比較すると、さすがに日本有数の学術出版社の編集者だけあって、物を見る目のある方だと感銘を受けた。

     今回、日本での書店流通を諦めて英米欧での同時自己出版を選んだのは、キンドル本の形で出版した際に「無料キャンペーン」期間の一日で日本とそれ以外の国で5冊も「ゲット」されてしまったことから、この本を必要とする研究者は意外に多いと分かったからである。

     考えてみればそれも当然で、日本では90年代以降のロシア映画史をちゃんと学術的に追跡してきたのは私だけであり、2000年代半ばに『ナイトウォッチ』等が登場して劇場やレンタルショップに現代ロシアの娯楽映画が並ぶようになるまでの期間が全くの「ブラックボックス」だったのである。まさか、ソクーロフ、ゲルマン、カネフスキーと東京国際映画祭で上映されたその他の作家映画しか、当時ロシアに映画がなかったわけでないことは、常識を持つ人なら分かるであろう。確かに90年代半ばのロシア映画産業は崩壊寸前だったが、最悪の年でも20本以上は長編劇映画が制作されていたのである。

     判型は日本のものと違い、取次も通せないので日本の書店での流通はない。だが、れっきとした研究書である。疑う人は、米アマゾンか英アマゾンの上記商品URLで「Search Inside the Book」機能をつかって「なか見検索」でもしてみればよい。私はこの仕事に関しては一切、手抜きや適当な記述はないと断言する。そのことは、今準備中の『物語映画におけるポリフォニー』に関しても言える。ロシア語のPh.D学位論文に基づくことになるが、その時の指導教官E.グロモフ氏はかつてドイツ古典哲学を学びクレショフからじかに映画論を学んだ方であり、その指導の細やかさのお陰もあって、今でも私の論文はロシアの学界で参照されているのである。
     
    「科研費は税金から出ているのだから、成果を発表する義務がある」とのたまうような高齢の大学人に対して、「そう言うあなた方は、自分の研究が必要とされる時期を逃さずに研究成果を発表してきたのか? 今の時代、若手や中堅の研究者は生活が苦しいのだから、“名誉教授”等とおだてられて需要の無い学問を大学院などで教えるくらいなら、早く引退しなさい」と言い返すことができる。そもそも、今の高齢者は自分達の世代の苦労や貢献を過大評価し過ぎている。福島第一原発事故を防げなかったのは、他でもない、高齢者の世代なのだ。
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    テーマ : 映画
    ジャンル : 学問・文化・芸術

    tag : 映画産業 映画学 現代ロシア映画

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    プロフィール

    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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