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    投資詐欺の増加と世代間ギャップ

     最近、投資詐欺のニュースが多い。詐欺の内容を読むと、よくこんな話に騙されたと思うようなものもある。
    被害者はたいてい高齢者であり、捕まった犯人は被害者の子供くらいの年齢が多い。

     犯人達はもちろん裁かれなければならない。だが。見方を変えれば、これは現在の世代間所得格差を反映していると同時に、退職した世代が信奉していた時代遅れの価値観が凶器となってブーメランのように彼らに返ってきたのだと言えるのかもしれない。

     作れば売れた時代、バブル崩壊までの日本では、不動産であれ会社の株であれ国債であれ、大抵は投資対象であり得た。投資話を持ちかけられるということが、一種のステータスでもあり得た。また投資という行為を行えることも、選ばれた少数だけの特権だった。
     その頃の意識のまま定年を迎え、世の中が不景気になっても相当の年金や貯蓄があるために実感もできず、グローバリゼーションと世界同時不況のもたらした閉塞感にも気づかないような人々が、真っ先に投資詐欺のカモになったのである。
     彼らは、“努力すれば報われる”“滅私奉公”といった価値観を信奉し、その結果として“報われる”ことが可能だった最後の世代でもある。もちろん、そのような価値観がともかくも成立し得たのは、高度経済成長という背景があったからだ。周知のように、その背景は90年代以降、既にない。彼らの価値観は完全に時代遅れになったのである。
     彼らには、社会的な不公正や国家による陰謀的犯罪のような概念を容れる余地が少ない。だから彼らは、NHKや大手新聞のように「公的」で「クリーン」な印象を与えるメディアだけを信用する。かつて「中流」と呼ばれたサラリーマン層の平凡な日常生活が、弱者の搾取や南北格差によって支えられていたかもしれない等とは夢にも思わない。或いは、そのような疑念を無意識に頭から追い払ってしまう。彼らの世代の“エスタブリッシュメント”達は、メディアを通じてそのような関心を抱く者を“反体制的”“左翼”等というレッテルを貼って差別したので尚更だった。要するに、彼らは洗脳されていたのである。

     一方、そうした時代遅れの価値観・世界観を共有した世代の子供たちが既存の「公的」メディアの欺瞞性に気づいた時、二つの反応が考えられる。「公的」な嘘を信じるふりをし続けながら生存競争の激化する社会に取り残されないよう偽善的に行動するか、騙し合いこそがこの世の本質と割り切って自分が騙す方になろうとするか、である。大企業の正社員はほぼ間違いなく前者を選ぶであろうが、派遣社員や失業者や個人事業主の中には後者を選ぶ者も多いだろう。
     その結果、若年層の非正規雇用や失業が増加すればするほど、高齢者を狙った詐欺は増えるということになったのだ。投資詐欺に限らず、他者の弱みに付け込む怪しげなビジネスが蔓延るようになったのも、原因は同じだろう。

     以上のような考察は、別に社会学を学んでいなくとも少し考えれば分かることだ。ただし、論理的に思考すること、既存のあれこれの価値観を絶対視して思考停止に陥らないことが条件である。
     カレン・ウォルフレンが『日本 権力構造の謎』で指摘するように、江戸時代以降、日本の庶民は普遍的理念の存在を信じないよう権力者によって教育され続けてきた。だから思考の論理性や普遍的理念を軽視する反知性主義が蔓延ることになったのである。“反体制派”ですら、「個」を確立できず具体的な現実を見ることもなく、抽象概念の解釈の相違をめぐって内部抗争をつづけて自滅したのが日本という国である。80年代のバブル崩壊まで、日本では国民が自律した個人として思考することは奨励されず、嫌われたからだ。
     現在詐欺の被害者となっている高齢者達も、そのような社会の「庶民」でしかなかったことは、言うまでもなかろう。

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    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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