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    ヌリ・ビルゲ・セイリャンと映画文化の黄昏

     タイトルを誤解して欲しくないのだが、私はこの記事でヌリ・ビルゲ・セイリャンという非常に誠実で稀有な映画作家を批判するつもりはない。その逆である。彼の最新作にして、日本での初劇場公開作『雪の轍』Winter Sleep(2014)は、彼の映画作家としての成熟だけでなく現代社会に対する思索の深さをも示しており、過去10~15年の世界の映画芸術における最も貴重な成果であるとさえ言えると思う。
     
     私は4年前に刊行された自著『映画 崩壊か再生か』の中で、セイリャンの映画作家としての個性やキャリアが、ヨーロッパの映画文化と不可分に結びついている事を示した。この本では、映画文化の構成要素や発展過程におけるそれら構成要素の作用による影響の実例を多数挙げてある。この本の基本思想を手短に説明すれば、映画文化の担い手としては映画の制作者達は、観客や映画産業その他の構成要素と同等の意義しか持っていない、ということである。それゆえ、映画文化の発展も衰退も、映画作家達だけの努力や意志によってはどうすることもできない、ということにもなる。先進諸国における映画文化の黄昏は事実であるが、優れた映画作家に期待できるのは、悪化する条件下でうまく自分の創作家としての個性を開花させ、あれこれの構想を現実化することだけである。
     
     『映画 崩壊か再生か』を執筆した当時、私はまだ前作『昔々 アナトリアで』は見ていなかったのだが、それ以前の彼の作品は全てDVDで観ていた。DVDはロシアやイギリス、アメリカ製のものであり、中にはセイリャンのインタヴューや制作中の記録映像が特典として収められているものもあった(日本語字幕は勿論ない)。最初にスクリーンで観た彼の作品は、日本で一日だけ特別上映された『昔々 アナトリアで』だったのだが、冗長の感を免れなかった。個々の映像やエピソードには見るべきものがあるとはいえ、157分の上映時間に対してドラマが希薄すぎると思えたのである。クレジットに、原案がチェーホフの小説らしいことが書かれていたので、ドラマが希薄なのも道理だと思ったが、セイリャンもついに「巨匠病」(スケール感や上映時間、技巧の完璧さにばかりこだわるようになる創作家の病気、私の造語)にかかったのではないか、だとしたら残念なことだと感じた。


     今回の『雪の轍』は更に上映時間が長いので、前作と同様に冗長になってしまったのではないかと危惧していた。昨年カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した際のレヴューを多少は斜め読みしていたので、濃厚な室内劇の要素が強いらしい事は知っていた。それ以外の予備知識は(公開予定や劇場名等、観賞に必要な情報以外は)持たないようにしていた。

     作品自体は、最初に書いたように10~15年に一度現れるかどうかの傑作である。
     昨年斜め読みした海外のレヴューも、劇場で初めて目にしたチラシに寄せられた多数の賛辞や感想も、これから鑑賞しようという人に対しての導入としては殆ど役に立たないと思う。この映画は、映画におけるドラマツルギーに新しい境地を開拓している。だから決まり文句のような賛辞も、コメントを寄せた様々な人々が自分の専門の立場から書いたコメントも、ほとんど何も伝えてくれないのである。
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    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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