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    “システム”からの離脱、芸術による救済: 世界システムの転換期と“普通人”の運命 11

     
     ある賢人は言った。“罪とは必要のないもののことだ”と。(映画『サクリファイス』より、主人公アレクサンデルの台詞)

     アンドレイ・タルコフスキーの遺作となった『サクリファイス』の主人公は、映画の冒頭近く、“ハムレットの心境”で幼い息子を相手に、人類の文明についての独白に近い言葉を語る。かつて俳優であり、今は芸術批評家で大学でも教えているという設定のこの主人公は、半ば独白によるこの思考の果てに、次の結論に達する。

     “我々の文明は最初から間違っていたのだよ”

     ここでタルコフスキーの主人公アレクサンデルが言っている“我々の文明”とは、彼がどれほど日本の伝統文化に傾倒しているとしても、“西欧文明”ではないことは明らかである。タルコフスキーは『惑星ソラリス』のロケで、1970年代初頭時点でモスクワよりもはるかに“未来的”だった東京を訪れているのである。
     
     タルコフスキーと映画『鏡』のために共同脚本を書いたアレクサンドル・ミシャーリン(この人も既に故人)の回想によれば、タルコフスキーはSFというジャンルが嫌いだった。彼が関心を持っていたのは、現代文明の中で生きる人間の内面的葛藤を、変化しやすい時事的な問題には関連づけずに示すことだった。 

     現代文明とは、歴史学で“近代”と呼ばれている時代以降に急速に世界に拡大していった文明であり、この連載の最初で定義した“資本主義システム”を中心として動く文明である。
     
     タルコフスキーの『ストーカー』撮影の際に2年制の高等脚本家・監督コースの研修を受けたコンスタンチン・ロプシャンスキーは、自分の最初の長編劇映画『死者からの手紙』(86)と2作目『ミュージアム・ビジター』(89)で、この現代文明の行きつく二つの悲劇的帰結を描いている。
     前者は核戦争の結果、後者はエコロジー的な破局の結果、現代文明は滅びてしまう。正確にいえば、ロプシャンスキーが描いたのは、“滅亡の後”生き残っている人間達の悲劇的状況である。

     タルコフスキーやロプシャンスキーが芸術家として示したヴィジョンは、彼らの創作方法がどうであろうと、実はこの連載で定義されているシステムとしての資本主義の必然的な帰結である。

     資本主義システムが存続する限り、軍需産業が消滅することも国家が消滅することもない(単純な国家主義者や民族主義者、職業軍人達の多くは、それゆえにこのシステムを“愛している”かもしれない)。
     その代わり、このシステムに従って全人類が行動すれば、地球にも人類にも、未来はなくなるのである。

     核兵器を用いる世界大戦は、人類滅亡のリスクが存在するため、また地上及び空中の核実験が禁止されて40年も経ち、アメリカもロシアも“作動するかさえ分からないような”大陸間弾道ミサイルを管理しているにすぎないため、まず起きる可能性はない。しかし、資本主義システムの管理者である“陰謀的諸構造”にとって、軍需産業は金融業に並んで大きな儲けの種なのだ。しかも恐ろしいことに、彼らの本当の目的は「儲け」すなわち金銭や金の増大ではなく、全世界に及ぼす“権力”なのである。

     A.フールソフによれば、これら陰謀的諸構造の中核にいるのは、世界で僅か40ほどしかない“超財閥”、広瀬隆が執拗に系図を調べていた閨閥達である。彼らはお互いに姻戚関係を結び、自分達の領域には部外者を決して入れないという。主要先進国の資本を動かしている最大の勢力は、“ブルジョワ”達ではなく、実は貴族達なのだとフールソフは言い、その例として現代ドイツ経済の殆どが実は貴族達の手にあると、自分の学生達に語っている。この点で彼は広瀬隆と同じ観点をもっている。

     フールソフや広瀬隆の考えがどこまで正しいか私には判断できないのだが、少なくとも次のことは確信をもって言える。
     
     資本主義システムの本質は、“市場原理主義”でもなければ“グローバリゼーション”でもなく、時にはヒトラーのような指導者を持つ全体主義国家の存在さえも“利潤”のために利用する彼ら、“陰謀的諸構造”のプレイヤー達によって“ゲームの規則”(国際関係、世界経済のルール)が決められるところにある。
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    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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