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    現代日本の世代間格差とSF

     日本における世代間格差の問題を真正面から扱った本が売れている。このブログでも、筆者が読んだ上でその感想を書きたいと思うが、この問題は過去数年間にも、オブラートに包んだ形で、或いは「老人天国・日本」的なセンセーショナルな扱いで、幾つかの本で取り上げられてきている。

     だが、社会派の佳作も少なくない現代日本の文学は、その微妙さゆえか、なかなかこの問題に切り込むことができないようだ。そもそも高齢者を敬う儒教的伝統が根強かった日本という社会で半世紀も経済成長と保守政治が続いた後、そこで得られた権益が現在60代以上の世代によってほぼ独占されており、それが90年代以降この社会を解体させてきたのだと言われても、納得できない人が多いのは当然かもしれない。
     しかし、私自身の生活実感では、それは紛れもない事実である。この日本は、その意味でも末期のソ連と似ている。ソ連末期、ゴルバチョフが登場する前に相次いで死亡した3人の最高権力者達は、全て若者の運命に無関心な、或いは若い世代のカウンターカルチャーをひたすら危険視するような高齢者だった。

     SFというジャンルでは、そういった一見アンチヒューマニズムと思われる視点から現実に切り込むこともできると思うのだが、現代日本のSFは残念ながら、オタク的趣味の世界をひたすら「深めて」いるように見える(その点では英語圏のSFも大した違いはないのかもしれず、それが世界同時不況の現在、このジャンルを袋小路に追い込みつつある気もしている)。

     私自身は、2004年春に脱稿し先頃キンドル本の形で公表した小説『リマインダー』の中で、簡潔だが分かりやすい形で、この問題に触れていた。
     

    リマインダーリマインダー
    (2012/10/31)
    西 周成

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     この小説には仮想現実オンラインゲームが2種類出てくるが、私が描写に力を入れたのは、それぞれのゲームのルールや内容よりもむしろ、ゲーム参加者達の世代的な経験や経済的背景の違い、職業及び居住地の違い、そこから生じる世界観の違い等だった。
     2つの仮想現実オンラインゲームのエピソードのうち最初のものは日本社会のややコミカルな縮図である。参加者達はそれぞれ、高度経済成長期の主役で悠々自適の年金生活者、80年代土地バブルと2000年代ITバブルの経験者でエンジニア、地方に左遷されたネットテレビの営業ウーマン(今風に言えば肉食系女子)、サブカルチャー関連の原稿を書きながら糊口をしのぐ中年貧乏作家、苦労というものを全く知らない富裕階級の子弟でハイテク信者・享楽主義者である。彼らそれぞれの視点から短い内的独白が描かれる一方で、仮想空間では年齢・性別の偽装を伴う滑稽な仮装劇が展開される。
     この設定一つからでも、筆者が特に彼らの誰かを糾弾しているわけではないことはお分かり頂けるだろう。このエピソードを中心とする第二章は、SF的なテクノロジーの描写も少しはあるが、基本的に2000年代以降の現実の日本社会を客観的にとらえたカリカチュアである。そこに虚無感が感じられるとすれば、それは哀れにも分断されコミュニケーションがますます不可能になってゆくこの日本社会の虚しさの反映であり、決して筆者の世界観を示すものではない。

     仮想現実オンラインゲームのもう一つのエピソードは第三章に描かれている。そこでは、筆者が実際に見聞してきた世界の諸地域に住む人々の民族性やその社会を、ゲーム参加者の描写に反映させている。勿論、商業的なジャンルのフィクションだから、誇張も多少ある。ただし、自然に信仰をもてる者(民族)とそうでない者(民族)との違いは、実体験に基づき不自然にならぬように書いた。民族性の違いに関して、実体験よりも信用できる資料はどこにもない。

     『リマインダー』は比較的短い小説で、2時間程度の商業映画の原作としてちょうど良い長さだと思う。多ジャンル的で既存の映画からイメージを借りた箇所も多少あるが、全く趣味的(オタク的)ではない。オリジナルが脚本であり全体としてドラマ的性格を持っているので、長い小説をじっくり読むことが好きな、つまりそのための時間的・経済的な余裕をもち、それらを楽しめる人々には物足りぬかもしれない。
     だが、そのような人々が見るのを嫌がるであろう現代日本の矛盾を、多視点によるドラマとして描いているからこそ、この小説はリーマンショックと福島第一原発事故以降においても基本的に古びていない。

     なぜなら、日本社会は過去10年間、実は何も変わっておらず、まだまだ本格的に変わる気配がないからだ。


    テーマ : 文学・小説
    ジャンル : 小説・文学

    tag : 電子書籍 ハードSF ドラマツルギー リマインダー 仮想現実 オンラインゲーム

    ジャンルの枠と哲学的思索:自作『リマインダー』の例

     あらゆる物語作品は、作者がどの程度意識しているにせよ、限られた潜在的読者や観客しかもたない。物語内容だけでなくジャンルの枠も、潜在的な読者や観客の範囲を決める要因になる。
     
     ジャンルという概念は、古代ギリシャ哲学に由来する(genos)。物語芸術に関する最初のジャンル論の一つは、劇作法の古典的書物でもあるアリストテレスの『詩学』だが、そこでは、叙事詩とドラマ(悲劇と喜劇)の違いとが、非常に明確に述べられている。叙事詩は、語り手一人が全ての登場人物の行為を模倣し、長さに制限はなく、同時に展開する様々な出来事を描写できる。一方、ドラマでは役者がそれぞれの登場人物を模倣し 上演時間から来る長さの制限がある、等。

    詩学 (岩波文庫)詩学 (岩波文庫)
    (1997/01/16)
    アリストテレース、ホラーティウス 他

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     作者が一人で全てを模倣、描写し、長さに制限がないという叙事詩は、近代長編小説の祖先の一つである。これは物語論や文芸学で指摘されてきたことであるが、長編小説には他にも源流がある。バフチンは彼のいう「ポリフォニー小説」の起源の一つを、プラトンの対話篇に見ていた。実際、長編小説という近代以降に成立したジャンルでは、哲学的思索を含む他者や自分自身との対話が頻繁に描かれてきた。

     劇映画というものは、その構成の基本的原則だけを採りあげてみれば、長編小説と近代演劇(近代小説の影響を受けつつ『詩学』以来の劇作法の伝統を踏まえたドラマ)を参照しつつ、発展してきたものだ。そこには芸術的な課題だけでなく、はっきりとした商業的戦略もあった。サイレント時代から、映画産業は人気のあった小説や舞台の映像化を繰り返してきたからである。

     しかし、モダニズム以降の長編小説で特に先鋭化した「哲学的思索を含む他者や自分自身との対話」及びモノローグ的な「意識の流れ」の方は、劇映画にヴォイス・オーヴァー・ナレーションという中途半端な方法で導入されたきり、今では忘れられつつある。観客がついてこないというよりも、これらにはどんな映画作家も十分に明瞭な表現が与えられたためしがないのだ。表現形態としての文学と映画との相性がもっとも悪い部分が他でもない、意識の流れとか内的モノローグなのだった。それらに比べれば説明的な字幕とか演劇的な台詞のやり取りなどは、ある程度まで映画の風土に慣らすことができる。ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』シリーズでかなり長い状況説明を字幕でやってのけたし、コージンツェフは『ハムレット』でシェークスピアの原作から過剰な台詞を必要最小限にまで刈り込むことに成功している。

     登場人物の内的モノローグや思索の表現は、そうはいかない。最近見ることができた、原作者自身の脚本によるテレビドラマ『煉獄の中で』(A・ソソルジェニーツィン原作・脚本、グレープ・パンフィーロフ監督)の場合、ポリフォニー的な原作から内的モノローグの多くが削除され、僅かに残った部分はヴォイス・オーヴァー・ナレーションに替えられた。結果的に大衆性は増したが、スターリン時代のソ連社会を描いた全体小説としての原作の深みは犠牲になったように思える。

     9年前に私がオムニバス映画中の一篇として構想した脚本『Re-MIND』と、それを展開させた長編小説『リマインダー』は、前にここでも述べたように、グレッグ・イーガンの諸作品に影響を受けている。だが、テーマの扱いはイーガンとはかなり違う。人工知能の限界や脳と意識の関係のような科学的テーマ、そして仮想現実やオンラインゲーム等といった設定は、当時私の興味を引いていたものであり、ダマシオのこの本も含めて参考文献も読みこんだが、作者として構想の中心をそこに置くことはしなかった。

    生存する脳―心と脳と身体の神秘生存する脳―心と脳と身体の神秘
    (2000/01)
    アントニオ・R. ダマシオ

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     私の関心を引いたのは、むしろ切実な社会的諸問題だった。2000年代初頭から、この国の若年層や青年層そして中年世代にまで広がっていった貧困や精神的共通基盤の崩壊、そして経済至上主義と科学技術万能主義的なイデオロギーが政界・財界・マスコミによって当然視されていくことによる文化の荒廃というような現象を、一人の青年の死を通じて素描したのが最初の短編である。学問的にではなく、抒情的、部分的には詩的でさえある悲恋物語としてまとめられたことに、私は満足していた。だからこそ、オムニバスの企画が実現しないと分かるとすぐに長編化したのである。
     原案をポリフォニー的に広げることが長編小説化した際の課題だった。長編映画の脚本として書いたのが先だったか、或いはいったん長編小説として書いてから脚本にしたのか、よく覚えていない。それほど一気呵成に書いたのだが、そこには「サイバーパンクSF」「ハードSF」というジャンルの枠が、自分にとっては借り物に過ぎないという意識があった。
     
    リマインダーリマインダー
    (2012/10/31)
    西 周成

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     事実上未発表のまま、9年ぶりにキンドル版として公表しようと思い立ったのは、当時は近づき難く思われた一部の商業的作品が、現在の自分にとっては色あせて見えるようなった(つまり時の試練によってそれらの限界が見透かされるようになった)こともある。また、少し読みなおしただけでも自作の構成とテーマの扱いに、選択された課題と枠組みの範囲ではほとんど破綻がないことが確認できたからでもある。タルコフスキーが書いているように、「芸術作品はそれが作られた法則にもとづいて理解されるべき」であり、作品が完成した時点で既に、そうした法則を理解でき、なおかつ承認するような読者や観客が「選ばれている」のである。

    自省録 (岩波文庫)自省録 (岩波文庫)
    (2007/02/16)
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    マルクス・アウレリウス「自省録」 (講談社学術文庫)マルクス・アウレリウス「自省録」 (講談社学術文庫)
    (2006/02/11)
    M. アウレリウス

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     エピグラフとして選んだ『自省録』からの引用も含めて、この作品は私の設定した創作課題とは完全に一致している。映像化も念頭に置き、しかしあくまであらゆる商業的思惑から独立した理念的作品を書こうとしたからこそ、それができたのだ。同じことは、調査と執筆に数年を費やした『倒されたデーモン』に関しても言える。今思えば恵まれた執筆環境であり、今後同じような条件はなかなかあるまい。

    テーマ : 文学・小説
    ジャンル : 小説・文学

    tag : リマインダー 新刊 電子書籍

    小説に基づくシネ・ポエム3篇+α

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    西 周成

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    リマインダーリマインダー
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    テーマ : Kindle
    ジャンル : 本・雑誌

    tag : ミハイル・ヴルーベリ ハードSF リマインダー キンドル 電子書籍 新刊

    プロフィール

    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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