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    『死者からの手紙』と『黒い雨』

     コンスタンチン・ロプシャンスキーの『死者からの手紙』(86)と今村昌平の『黒い雨』(89)は、核兵器がいかに野蛮で愚劣な発明であるかを、徹底したリアリズムと芸術作品であるために必要な抑制とによって示した映画だった。

     こう述べても私は別に、これらの映画の作者達の意図や構想を“反核運動”にまで卑小化するつもりもない。
     ロプシャンスキーの映画には、彼が高等監督・脚本家コースでタルコフスキーに学び、同監督の『ストーカー』で制作実習を受けたことによると思われる、ロシアのメシア思想と現代文明批判が見てとれる。一方で『黒い雨』には、井伏鱒二の原作を尊重し、決してテーマを声高に語るまいとする今村監督の意志が見える。

     だが、両者とも、スクリーン上の出来事の信憑性を重視する“リアリズム”的な映画美学に連なっている(少なくとも、彼らは見世物性を強調したり異化効果を狙ったりはしない)。両者とも、核爆発のスペクタクル性よりも、核兵器の使用が人間に与えた、或いは与えるであろう、病理的・心理的影響を探求している。そのことによって彼らの映画は、核兵器の間接的な影響の恐ろしさを極めて信憑性ある形で示すことができたのである。言わば、彼らの映画観やそこから選択されたドラマツルギ―や映像のスタイルが、題材自体の重みにとって適切なものだったのだ。
     
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    (2007/12/21)
    三木のり平、北村和夫 他

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     東北新社から発売されているこの『黒い雨』のDVDには、貴重な未公開シーン(元の脚本にあって映画にはない別のラストシーン)と、制作のプロセスを追った特別番組(山陽放送制作)が収録されている。それらを見ると、この映画がタルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』や『ストーカー』のように、再撮影や再編集のお陰で傑作になったのだということが分かる。「別のラストシーン」をそのまま編集で活かしていたら、この映画の淡々とした語りの中からにじみ出る悲劇性は損なわれてしまっただろう。その悲劇性は、主人公達が取り返すことも運命として受け入れることもできない、徐々に破壊されていく日常生活にある。肉親を含む身近な人々が、じわじわと確実に死にむかっていくという、核による被曝の現実。その同じ状況が、ロプシャンスキーの『死者からの手紙』でも描かれていた。
     ロプシャンスキーの師であったタルコフスキーの『サクリファイス』は、これらの作品に比べれば、美学的には一貫性と完成度が高いかもしれない。だが、『サクリファイス』では既に『アンドレイ・ルブリョフ』や『ストーカー』で見られたリアリズム映画美学は後退しており、詩的な連想に基づく、宗教的・文明論的な寓話が展開されている。今村やロプシャンスキーの映画はもっと地上的であり、現在のわれわれ日本人にとっては、より切実に感じられるだろう。 
    プロフィール

    Shusei Nishi

    Author:Shusei Nishi
    私の専門は映画であり、映画と音楽には相違点も勿論ありますが、多くの共通点もあります。個人的には、映画は現在の形よりもっと音楽的であっていいのではないかと考えています。

    ここでは批評やレヴューというほどではなく、偏愛する音楽と映画、そして生活全般における“別の選択”について書いてゆきます。

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